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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)5268号 判決 1991年10月31日

原告

高山泰成こと高泰成

被告

株式会社永尾運送

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三六〇〇万〇六二二円及びこれに対する昭和五四年一二月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和五四年一二月二五日午前一一時四〇分頃

(二) 場所 大阪市生野区小路一丁目四番三六号先路上

(三) 加害車 普通貨物自動車(大阪四四き七五九号)

右運転者 訴外光山尊(以下「光山」という。)

(四) 態様 加害車が前記路上を進行中、原告(昭和四七年一二月一六日生、当時七歳)と衝突し、原告が路上に転倒した。

2  責任原因(自賠法三条)

被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。

3  原告の受傷内容、治療の経過、後遺障害の認定等

原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型等の傷害を負い、山本病院、生野優生病院等に入通院したのち、アエバ外科病院において頭部外傷後遺症、頸椎捻挫、脳波異常等と診断され、さらに、昭和六〇年一二月二〇日、大阪東循環器病院の西村医師により、外傷性頸部症候群、外傷性てんかん、筋収縮性頭痛、うつ状態の後遺障害を残して症状が固定したと診断され、右後遺障害は、損害調査事務所により、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表の九級一〇号に該当する旨認定された。

4  原告と被告との間の示談の成立

原告と被告との間で、昭和五五年六月一〇日、<1>被告が同日までの治療費、付添費、雑費、交通費等として四八万二一六〇円のほか、示談解決金として六五万円を支払う、<2>後日原告に後遺障害が発生した場合は、原告は被告加入の自賠責保険に被害者請求をし、その余の請求については原告、被告間で協議する旨の示談を交わし、右六五万円の支払いがなされた。

なお、その後、原告に対し、自賠責保険から後遺障害保険金として五二二万円が支払われた。

二  争点

1  原告は、本件示談成立当時予想しなかつた後遺障害が発生したとして、三六〇〇万〇六二二円(後遺障害による逸失利益三一七三万〇六二二円、付添費用一〇〇万円、慰謝料五二二万円から前記保険金五二二万円を控除した三二七三万〇六二二円と、弁護士費用三二七万円と合計額)を請求する。

2  これに対し、被告は、次のとおり主張して、自己に責任があることを争うとともに、原告主張の損害額(特に逸失利益)についても争う。

(一) 自賠法三条但書の免責、過失相殺

光山は、加害車を運転して本件事故現場手前の十字路を右折して一方通行の本件道路に進入したところ、路上で友人と鬼ごつこをして遊んでいた原告が、道路右側に駐車中のライトバンの陰から加害車の直前に飛び出してきたため、光山が急制動の措置をとつたが避けられず、衝突したものである。

したがつて、本件事故は、原告の一方的な過失によつて発生したものであり、光山には過失がなく、また、加害車に構造上の欠陥又は機能の障害はなかつたから、被告は、自賠法三条但書によつて免責される。

仮に、被告が免責されないとしても、本件事故の発生については、原告ないしはその監護者に過失があつたものであるから、大幅な過失相殺がなされるべきである。

(二) 原告の後遺障害の有無、程度(特に、外傷性てんかんの発症の有無、本件事故との因果関係)

原告について、アエバ外科病院の草野医師は、意識消失発作があつたという原告ないしはその母の申立てと脳波検査の結果をもとに、外傷性てんかんと診断しているが、真に意識消失発作があつたか不明であり、また、その脳波検査の所見も直ちに根拠となるものではなく、原告がてんかんを発症したものとは認められない。仮に、原告の症状がてんかんであつたとしても、本件事故によるものと認めることはできない。

また、てんかん以外の後遺障害として原告が主張する外傷性頸部症候群、筋萎縮性頭痛、うつ状態についても、受傷から症状固定の診断をされるまでの期間や、家庭、生活環境等の影響を受けていた可能性を考えると、本件事故との因果関係は認められないというべきである。

(三) 時効消滅

頭痛等による損害については、本件示談に折り込み済みであるというべきであるが、仮にそうでないとしても、原告の主張する頭部外傷後の慢性頭痛等については、昭和五五年九月二日にいつたん症状固定の診断がなされ、さらに昭和五八年一二月六日にも二回目の症状固定の診断がなされており、原告の損害賠償請求権は遅くとも昭和六一年一二月六日には時効によつて消滅しているものというべきであり、被告はこれを援用する。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様及び被告の責任

1(一)  前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲一号証、乙一ないし三号証、一六、一九号証、検乙一ないし八号証、証人光山尊、原告本人〔第一回。信用しない部分を除く。〕)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 本件事故現場は、住宅及び商店が密集している市街地にある幅員約四・七五メートルの道路で、事故現場の北側には、信号機による交通整理の行われていない十字路交差点(本件交差点)があつた。

(2) 光山は、本件事故当時、加害車を運転し、東西道路を西から東に向かつて進行して本件交差点に至り、これを右折して、南行一方通行とされていた本件道路に進入し、時速約一〇キロメートルの速度で約一〇メートル進行したところ、友人と鬼ごつこをしていた原告が、道路右側(西側)に駐車中の車両(ライトバン)の陰から加害車の前方約一メートルの付近に突然飛びだしてきたため、光山は急ブレーキを踏んだが間に合わず、加害車前部を原告に衝突させ、原告は路上に転倒した。

(二)  以上の事実が認められるところ、原告は、本件事故は本件交差点内で発生したと主張し、これに副う原告本人の供述、原告法定代理人親権者の供述(いずれも第一回)も存するが、その供述は曖昧で、かつ、当初主張していた事故現場とも異なっており、光山証言、乙一九号証の記載と対比すると、信用することはできない。

2  右事実によれば、本件事故現場の状況に照らし、子供等が車両の陰から飛び出してくることも予想されたのであるから、光山は、自動車運転者として、進路の前方左右の安全を十分に確認し、また、徐行して進行すべき注意義務があつたというべきであり、光山は、原告が路上で遊んでいることに気づかなかつたか、車両の陰から飛び出してきたのを発見するのが遅れたことによつて本件事故を発生させた可能性が認められ、同人に過失がなかつたものとすることはできない。

3  したがつて、その余の点について判断するまでもなく、被告の自賠法三条の免責の主張は採用することができない。

二  原告の後遺障害の有無、程度

1  原告の症状及び治療の経過等

前記争いのない事実に、証拠(甲三ないし二二号証、二三号証の1、2、乙四ないし一七号証、二五ないし三二号証、三四号証、証人草野孝文、同西村卓士、原告本人(〔第一、二回〕、原告法定代理人親権者禹敬愛〔第一、二回〕)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

(一) 本件事故から本件示談成立の頃までの症状及び治療の経過

(1) 山本病院における症状及び治療の経過

原告は、本件事故により意識を失い、直ちに山本病院に運び込まれたが、受傷後意識障害が継続した時間は約五分程度で、各部位のレントゲン検査の結果や腱反射等の異常もなかつたため、脳震盪症、右側頭部挫創傷、左大腿・膝骨・胸部打撲症、頸椎捻挫(疑い)と診断され、創傷部の手当て等を受けた。

(乙六、七)

(2) アエバ外科病院及び生野優生病院における症状及び治療の経過

原告は、同日、アエバ外科病院で受診し、頭部外傷Ⅱ型、右側頭部挫創、顔面挫傷と診断されて顔面及び側頭部の創傷部の手当てを受けたのち、生野優生病院で受診し、頭部外傷Ⅱ型、左前頭部打撲と診断され、経過観察のため、入院することとなつた。

右入院後の原告の経過は良好で、CT検査等の結果にも異常は認められず、昭和五五年一月一〇日に退院するに至り(入院一七日間)、その後、同病院に一回通院したが、同月二二日、同病院での治療を打ち切つた。

(乙八、九)

(3) 共和病院における症状及び治療の経過

ア 原告は、同年二月四日、共和病院で受診し、冷汗が出る、ときどき頭痛がすると訴えたが、その日に行われた脳波検査の結果は正常範囲内と判定された。原告は、その後も、天気が悪いと頭痛がする(特に雨の日)などと訴えて投薬等の治療を受けていたが、同様の状態が続き、同年四月中旬頃には治療打り切りが検討され、同年四月二九日には治癒見込みと診断されており、後記のとおり、同月二三日から針灸院で治療を受けるようになつていたこともあつて、同病院への通院は同年五月八日をもつていつたん中止した。

なお、同月七日、近畿交通共済(被告加入の共済)の担当者が原告の症状を尋ねた際、同病院の医師は、前額部痛はあるが、まつたく元気であると答えている。

イ 原告は、同年四月二三日から同年六月一〇日まで呉針灸院に九日間通院して治療を受けた。

(甲一五~一七、乙一〇~一四、一七)

(4) 本件示談の成立

原告の母は、昭和五五年一月ないし二月頃、全国同和連合推進会の和田弘に被告との交渉を依頼し、その後、被告側との間で示談の話が進められていたが、昭和五五年六月一〇日、原告と被告との間で次の内容の示談が成立した。

ア 被告は原告の治療費(昭和五四年一二月二五日から昭和五五年六月一〇日までの分)を支払う。

イ 被告は原告に対し、右期間の治療費以外の損害(付添料、雑費、交通費)として四八万二六一〇円を支払つたほかに、示談解決金として六五万円を支払う。

ウ 原告に後遺障害が後日発生した場合は、原告は被告加入の自賠責保険に被害者請求をし、その余の請求については原告、被告間で協議する。

(乙一六、禹供述〔第一回〕

(二) 本件示談後から本件訴え提起までの経緯、原告の症状及び治療の経緯

(1) 共和病院における症状及び治療の経過

ア 前記のとおり、原告は、昭和五五年五月八日以降は共和病院へ通院していなかつたが、昭和五六年九月一日になつて同病院で受診し、頭痛を訴えた。そして、その翌日の同月二日には雨振りになると頭痛が強くなる、頸部痛と腰痛があるなどと訴え、同病院の兪順奉医師により次のような後遺障害の診断がなされた(同病院への通院実日数二五日)。

<1> 主訴又は自覚症状、頭痛、特に天候が悪くなると頭痛が強くなる。頸部痛、腰痛

<2> 他覚症状及び検査結果 自覚的症状が主で、他覚的に認められるものはない。脳波は正常

イ 原告は、その後、同年一一月一六日に共和病院で受診し、脳波検査を受けたところ、高圧δ波が見られ、それは脳全体から出ているうえ、てんかん性のパターンも考えられ、今後も追跡検査が必要と判定された。

ウ なお、原告の母は、昭和五六年秋に、中企連命暮会の井出某に対し、原告に頭痛があり、後遺障害で今後万が一のことがあると心配であるとして、後遺障害の件に関する被告との交渉を依頼していた。

(甲一四~一七、乙一七、禹供述〔第一回〕。なお、被告は、原告は昭和五五年九月二日に共和病院にいて症状固定の診断がなされたと主張するが、乙一七号証の記載によれば、昭和五五年九月に症状固定の診断がなされた形跡は窺えず、乙一四号証に腰痛の訴えが記載されていること等も併せ考えると、右症状固定の診断日は昭和五六年九月二日と認められる。)

(2) アエバ外科病院における症状及び治療の経過

ア 原告は、昭和五七年一月一九日、アエバ外科病院で受診し、草野医師に対し、昭和五五年一二月二五日の本件事故で一五分間の意識消失があつた。事故後、頭痛、頸部痛があり、昨年から眼が見えにくくなつた。」などと訴え、昭和五六年夏頃、意識消失発作があつたかのような説明をしたが、同日のCT検査では異常は認められず、また、項部筋の圧痛が認められたものの、対光反射や腱反射等は正常であり、神経学的な異常は認められなかつた。

しかし、同年三月八日に行われた脳波検査では、棘波徐波活動等が見られ、異常と判定され、また、原告らが前年七月に意識消失があつたと申告したことから、草野医師は、外傷性てんかんを疑つたが、本件事故と因果関係は不祥で、現時点では何ともいえないと判断していた。

イ 原告は、その後、同病院に同年三月一五日に通院したのち、同年五月二〇日から通院して頸部痛や頭痛を訴え、ヒダントール(抗けいれん剤)の投与等の治療を受けていたが、同年七月一五日以降通院しなくなつた。

そして、同年一〇月一四日に扁桃腺の症状を訴えて同病院に通院したが、そのときは、ときどき頭痛はあるが、発作はないと述べており、その後も扁桃腺の治療のために通院したが、同年一二月一四日の時点でも発作はないと述べていた。なお、原告は、右治療中、ときどきヒダントールの投薬治療を受けていた。

ウ その後、原告は、昭和五七年一二月一四日以降はまた通院しなくなつていたところ、昭和五八年三月一七日になつて発熱等を訴えて受診し、このときは急性上気道炎と診断されたが、その後の同年四月一六日に脳波検査を受けたところ、異常波があると判定された。

そして、同月二〇日からも頭痛等を訴えてときどき通院したが、同年六月一三日のCT検査では異常はないとされ、同月二三日、通院を中止した。

エ 原告は、同年一〇月三日、同病院で受診し、車に乗ると気分が悪い、ボヤーッとする、頭痛発作があるなどと訴えたが、神経学的な異常所見は認められなかつた。しかし、同月二八日の脳波検査では、高電位徐波群、棘波混在が見られ、異常であると判定され、抗けいれん剤の投与が再開された。なお、このとき原告は、昭和五七年夏から意識消失発作はなく、頭痛のみの症状であると述べていた。

オ しかし、原告は、右の昭和五八年一〇月二八日以降通院せず、昭和六〇年四月一八日になつてまた同病院で受診し、両こめかみ部が痛む、学校で頭重あり、フーツとなることがあるなどと訴えたが、このときも神経学的な異常所見は認められず、この時点でも、草野医師は、脳波の異常と本件事故との因果関係は不祥であると考えていた。なお、草野医師は、この日の原告の母について、五五年の事故のことばかり言つており、何を考えているかわからない、事故に何か結びつけて補償のことを考えているようだという印象を受けていた。

原告は、その後、通院してヒダントールの投与等の治療を受けていたが、同月二七日の脳波検査でも異常と判定され、同年五月二五日には、頭痛、頸部痛の訴えとともに、左第五―第七頸椎椎体の圧痛や、項部筋の緊張が認められるとされた。

そして、原告は、同年六月四日、右下腿部を負傷して来院し、前日の午後八時頃、自転車に乗つていたところ、フラーツとして転倒したと述べ、その治療を受けた。

カ 原告の症状は、その後変化はなく、草野医師は、同年六月二八日、原告について次の後遺障害の診断をした。

<1> 傷病名 頭部外傷Ⅱ型、頸椎捻挫、脳波異常

<2> 症状固定日 昭和六〇年七月二日

<3> 自覚症状 頭痛(雨天時に増強し、特に発作性で拍動性である。)、頸部痛、集中力の欠如、入眠時両下肢及び右肩にミオクローニ様の痙攣(筋肉れん縮様けいれん)あり

<4> 精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果

a 頭部外傷後遺症

脳波異常(頭頂部中心に高電位異常徐波群、棘波も混在する)

b 頸椎捻挫後遺症

頸椎椎体圧痛、頭部筋緊張、圧痛、頸椎レントゲン検査では異常所見なし

腱反射等の神経的検査、頭部CTスキヤン異常なし

<5> 障害内容の増悪・緩解の見通し等 脳波異常は、昭和五七年三月から認められ、頭痛発作・意識消失発作あり、抗けいれん剤などの内服療法を必要とする

(甲八、草野証言)

(3) 昭和六〇年七月の被害者請求の結果及びその後の経過

ア 原告の母は、昭和六〇年七月一〇日、自賠責保険会社に対し、被害者請求をしたところ、因果関係が認められないとして棄却された。

そこで、原告の母は、同月二〇日、草野医師に対し、前記後遺障害診断について、本件事故との因果関係について証明してくれるよう依頼し、同医師は、同月二二日、前記後遺障害診断書に「昭和五四年一二月二七日から昭和五七年一月一九日まで当院の受診なく、脳波異常と事故との因果関係は必ずしも明確ではないが、昭和五七年一月一九日以降、脳波異常が再三認められ、意識消失発作も出現していることなどより、脳波異常は事故によるものと推定される」と追記した。そして、原告の母は、同月二九日、右追記がなされた後遺障害診断書を添付して異議申立てをした。

イ さらに、草野医師は、同年八月二七日、調査事務所からの照会に対し、「意識消失発作については患者並びに家人の陳述であるが、問診上信憑性が高く、発作形態は急に頭痛を覚え意識消失する数分間のてんかん小発作様である。受傷後、意識消失発作が出現し、脳波検査にて昭和五七年一月以降再三発作波が出現していることと、受傷以前にてんかん発作を認めなかつたことなどを考えると、事故による後遺障害も否定できない。」などと回答し、同年九月二七日、原告について、後遺障害別等級表一二級一二号に該当する後遺障害が残されていると認定された。

(甲八五〇~五二頁、乙二五、三〇、三一)

(4) 大阪東循環器病院における症状及び治療の経過

ア 原告は、草野医師による前記症状固定の診断後の同年九月以降もアエバ外科病院に通院していたが、同月一八日、「八月中旬に急に意識消失発作が二~三分あつた。」と訴え、同月二八日にも「前日の夜に短時間の意識消失があつた。」と述べた。

その後、同年一〇月七日に行われた脳波検査では発作波は消失していると判定されたが、同年一二月二七日の検査では、再び異常波が見られると判定された。

イ 原告は、右アエバ外科病院への通院中の同年一〇月九日から大阪東循環器病院に通院を開始し、同日、六年間に交通事故にあい、約一五分間意識を消失したと説明したうえ、約三年前から両こめかみが痛むが天気の悪いときに多い、年二、三回フォーとして倒れて意識を消失し、先週の金曜日(一〇月四日)夕方にも意識消失があつたなどと訴えた。当日、CT及び脳波検査が行われたが、特に異常は認められないとされ、同病院の中田医師により、脳血管障害と診断された。

ウ 原告は、同月一六日、同月二三日に通院して頭重感や疲労感を訴え、セデスの投薬治療を受けたが、同月二五日の診察では、原告ないし母は、西村医師に対し、二年前にも意識消失発作があり、同年九月一九日には一〇分間全身強直性けいれん発作が起こつたかのような説明を行い、頭痛を訴えた。

原告は、その後も同病院に通院して頭痛、流涙等を訴えたが、西村医師は、頭痛は筋収縮性のものであり、また、自律神経失調症状もあると診断し、精神安定剤や抗うつ剤の投与等の治療を行つた。また、同年一一月八日の脳波検査では、最後の方で頭頂部に大きなθ波の出現が見られ境界領域と判定されたが、西村医師は、これは睡眠状態に入つたことによるものと推測した。

なお、当時、西村医師は、原告の症状については家庭的な問題もあるものと見ていた。

エ 原告は、その後も同病院に通院したが、自覚症状については改善傾向も見られ、同年一二月二〇日、西村医師により次の後遺障害診断がなされた(それまでの通院実日数一〇日)。

<1> 傷病名 外傷性頸部症候群、外傷性てんかん、筋収縮性頭痛、うつ状態

<2> 症状固定日 昭和六〇年一二月二〇日

<3> 自覚症状

a 頭痛

b 肩凝り、流涙、まばたき、多汗………外傷性頸部症候群慢性化により生じた自律神経失調症状

c 睡眠障害、意欲障害

<4> 精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果

頸椎単純レントゲン、頭部CTでは特に所見はない。

外傷性てんかんは服薬中において数ケ月に一度程度生ずる。昭和六〇年六月二八日の脳波測定では頭頂部中心に高電位異常徐波及び棘波を認め(アエバ外科)、当院実施の一一月八日の脳波でも頭頂部中心の高電位異常徐波を認めた。

更に、原告は、筋収縮性頭痛、うつ状態に陥つており、この原因としては事故による外傷性頸部症候群(慢性化)が最も考えやすい。

<5> 障害内容の増悪・緩解の見通し等

症状が慢性化、複雑化しており、安易な回復は望まれない。

オ 原告は、その後、同年一二月二七日に同病院に通院して左耳痛などを訴えたが、同日をもつて同病院への通院を中止した。

(甲四、五、九、西村証言)

(5) 再度の異議申立て及び九級一〇号の認定

原告の母は、昭和六一年一月一四日、先に認められた後遺障害別等級表一二級一二号の認定は不当に軽く、九級に該当するとして再度の異議申立てをなし、同年三月、原告の後遺障害は後遺障害別等級表九級一〇号に該当すると認められ、原告に対して五二二万円が支払われた。

(甲六、乙二五)

(6) 本件訴えの提起

原告は、被告に対し、昭和六二年六月三日、原告には後遺障害別等級表九級一〇号に該当する後遺障害が残されたとして、後遺障害に基づく逸失利益等を求める損害賠償請求訴訟(本件訴え)を提起した。

(本件記録から明らかである。)

(三) その後のアエバ外科病院における症状及び治療の経過

(1) 原告の母は、昭和六三年一〇月一七日、アエバ外科病院を訪れ、原告は本日頭痛があり、自宅で寝ていると述べ、草野医師は、ヒダントール及びバツファリンを処方した。

そして、原告は、同月二八日に受診し、頭痛、頭重感があると訴えたが、当日の神経学的所見に異常はなく、脳波もほぼ正常範囲内と判定され、前回と同様の薬が処方された。

(2) 原告は、その後しばらく通院しなかつたが、同年一二月一〇日に受診し、本日急に頭痛がある、むかつきがあるが嘔吐はないなどと述べ、投薬の治療を受けた。

しかし、その後はまた通院しなくなり、平成元年三月二二日になつて通院し、「二月中旬に意識を消失した、風呂で約一〇分間ボーツとしていた。」と述べ、また、しばらく間を置いて、同年四月一九日から通院するようになつた(ただし、同月二四日は感冒の症状、同年五月一二日以降は左足指化膿が主たる訴えであつた。)。

そして、原告は、同年六月以降も通院して、意識がフーツとする、頭がボーツとする、頭痛がするなどの症状を訴えて投薬治療を受けていたが、同年一〇月二九日からは抗けいれん剤がデパケンに変更され、草野医師は、右薬剤が指示どおりに服薬されて、てんかん発作症状の回数は減つてきていると診断している。

(3) 原告は、平成三年二月ないし四月の段階でも、月に一、二回通院して投薬の治療を受けているが、頭痛(特に雨の降る前)、吐き気、冷汗等の症状を訴えている。

なお、原告は、昭和六三年四月に大阪府立勝山高等学校に進学したが、平成元年二月に退学し、その後は自宅で無職の状態で過ごしている。

(乙三四号証、禹供述〔第一、二回〕、原告本人〔第二回〕)

2  原告の外傷性てんかん発症の有無並びに本件事故との因果関係についての判断

(一) 外傷性てんかんの原因等

(1) てんかんとは、種々の原因による慢性脳疾患で、大脳ニユーロンの過剰発射に由来する反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、種々の臨床及び検査所見を伴うものと定義されるのが一般であり、右のとおり、その病因は種々あるが、交通事故などによる頭部外傷が原因となることもあるとされている(乙二〇号証二五二頁、三三号証一〇頁、一三五頁)。

そして、外傷性てんかんとは、頭部外傷によつて生じた脳の損傷を原因とするてんかんをいうが、一般に、頭部外傷を原因とする発作は、受傷から発作症状の発現までの時間によつて次のとおり分けられ、通常、外傷性てんかんはウの晩期発作を意味するとされている。(乙三三号証一三五頁以下)。

ア 直後発作 受傷直後に生ずるものであるが、発作は一回のみで、発作の反復は見られないのが普通である。外傷による物理的・直接的刺激が脳細胞へ及んだ結果と考えられ、必ずしも脳に重大な障害が生じたことを意味するものではない。

イ 早期発見 受傷後四週間まで(その半数は二四時間以内)に発症したものを指す。その約三分の二では発作が反復することもある。この早期発作は、外傷によつて二次的に発生した脳の出血や浮腫などの結果とされ、原則的にはそれらの症状の消滅とともに消失するはずであるが、ときには反復性の晩期発作に移行することも少なくないとされる。

ウ 晩期発作(外傷性てんかん) 原則的には受傷後約一か月後から発症するものを指すが、その時期に早期発作が継続しているものも含めるのが普通である。外傷性てんかんでは、その約三分の二が一年以内に初発するとされ、外傷後あまり長期間を経てはじめて生じた発作は他の原因によることが多いとされる。外傷性てんかんの発作率は、受傷時の状況によつて異なり、開放性頭部外傷(特に硬膜裂傷)、骨折(特に陥没骨折)、二時間以上の意識喪失あるいは二四時間以上にわたる健忘があるものに発生する率が高いが、軽度の外傷の場合の発生率は低いとされている(草野医師の証言〔三一丁裏〕によれば、閉鎖性の損傷の場合は、発症率は〇・二ないし〇・七パーセント程度とされる。)。また、外傷性てんかんは、外傷時の脳損傷の後に形成された瘢痕を主たる病因とするもので、その瘢痕自体は残存するので、発作は反復して生ずるとされている。

(2) 外傷性てんかんの診断については、<1>頭を打撲していること、しかも意識がなくなるほど強く打つていること、<2>脳波所見があること、<3>頭部を打撲する以前にけいれん発作がなかつたこと、<4>てんかん発作の家族歴がないことというウオーカーの判断基準が用いられることが多いが(乙三三号証一三六頁、草野証言一〇丁裏)、明確な診断が可能である症例は比較的少なく、主治医が頭部外傷の部位、その程度、他の臨床所見、既往歴、脳波所見等を総合して、てんかん発作であるか否かの診断と、発作と外傷との因果関係を慎重に推定せざるをえないのが現状であるとされる(乙三三号証一三六~一三七頁)。

(二) 草野医師の所見について

(1) 前記のとおり、原告については、草野医師により外傷性てんかんと診断され、また、大阪東循環器病院においても外傷性てんかんの診断名が付されたものであるところ、本件証拠上、原告にてんかんの家族歴や本件受傷前に発症したことは認められず、草野医師は、原告は本件受傷により頭部を打撲し、意識消失があり、また、その後もてんかん発作があること、脳波も生来的な脳波とは異なつているとして、原告は本件事故による外傷性てんかんを発症したと診断している。

(2) しかしながら、草野医師の診断の前提とするけいれん発作の所見については次のような疑問が存するというべきである。

ア まず、草野医師は、原告には昭和五六年夏頃から意識消失発作が認められたことを前提としている。しかし、これは原告ないしはその母の申告によるものであるところ(甲八号証一、六、五一頁)、重要な症状であるというべきであるのに共和病因の医師に訴えておらず(診療録に記載がない。)、このような発作か真にあつたか疑問が存するというべきである。そして、また、てんかんの診断に際しては、医師が発作症状を直接観察する機会が比較的少ない病気であり、また、発作の形態の判断が重要であることから、問診時に、発作の症状だけでなく、おおよその時刻、そのときの周囲の状況、発作の誘因の有無、発作の前触れ(前兆)、発作終了後の状況等を本人ないしは家人等から詳細に聴取する必要があるとされているところ(乙三三号証二〇頁等)、草野医師がこれらの点について詳細に聴取した形跡は窺えず、昭和五六年夏にてんかん症状の徴憑と判断できる発作があつたと認めることもできない。

イ 次に、草野医師は、原告には、昭和五八年から年に一、二回意識消失発作があるとしているが(甲八号証四七、五一頁、草野証言)、前記のとおり、原告が昭和五八年にアエバ外科病院へ通院したのは同年三月から六月までの間と一〇月のみであるが、そのときに原告ないしはその母から意識消失の訴えがあつたことは認められず、かえつて、昭和五八年一〇月二八日には昭和五七年夏以降意識消失発作はないと述べていたことが認められるのであつて、この点についても多大な疑問があるというべきである。なお、甲八号証二八頁には、昭和五八年より意識消失が年に一~二回ありとの記載があるが、これは昭和六〇年五月頃に原告の母から聞き取つて記載したものと推認され、前記の事情に照らすと、右記載をもつて昭和五八年から意識消失発作があつたと認めることはできないというべきである。また、仮にこの頃意識消失があつたとしても、前記と同様、てんかん発作と認めるには問題があると考えられる。

ウ さらに、原告ないしはその母は、昭和六〇年八月中旬に意識消失発作があり、その後も同年九月二七日に意識消失があつたと訴え(甲八号証三五、三八頁)、また、平成元年六月一日には、昭和六二年三月、平成元年二月及び三月に各一回意識消失があつたと述べ(乙三四号証九頁)、その後も意識を消失することがあると訴えているが(同一一頁以下)、意識消失のあつた日時、場所等について、医師に対して述べたことと法廷で述べることは一致していないうえ、原告とその母との間でも食い違つており、昭和六〇年以降、意識消失発作があつたこと及びそれがてんかんによる発作であることを認めることは困難である。

エ 以上のほか、前記症状及び治療の経過、特に、原告の通院は症状が強くなつた、あるいは意識消失が発生したから受診したという感じは薄く、かえつてその通院状況は原告の母による後遺障害の請求ないしは異議申立てと符合している面があること、仮に原告に昭和五六年夏ないし昭和五八年以降意識消失発作が認められたとしても、その症状は本件事故から一年半ないしは三年以上経過してからのものであり、外傷性てんかんの症状とは認めがたいこと等を併せ考えると、原告にてんかんによるものと認めるに足りる発作があつたことは認めることはできないというべきである。

なお、てんかん発作には、けいれんのない発作である自律神経発作があり、これは視床下部ないしは辺縁系がてんかん発作のために乱されると、頭痛、腹痛、眩暈、発汗、顔面紅潮又は蒼白等の種々の自律神経系の症状を呈することがあるとされ(乙三三号証五六頁)、草野医師は、頭痛等を原告のてんかんの徴候と考えているかのような証言をしているが(同証言二五~二七丁)、<1>右の頭痛等の症状は、他の身体疾患やノイローゼ(精神神経症)でもよく見られる症状であり、てんかん性のものであると診断するためには、脳波で発作発射が証明される必要があるが(同頁)、原告の脳波所見は、頭頂部中心の異常波とされており、右脳波所見との関連で疑問があること、<2>前記のとおり、西村医師は、長期間の抗けいれん剤の服用にもかかわらず、脳波所見に変動がないことや、その他の所見から、原告の頭痛は筋収縮性のものであり、また、流涙、多汗等の自律神経失調症状は外傷性頸部症候群の慢性化により生じたものと診断していること)(甲五号証、九号証、西村証言三、四、八丁)などからすれば、原告の前記症状を以て、てんかん症状と認めることはできないと考えられる。

(3) そして、また、脳波の所見についても、アエバ外科病院における原告の脳波検査では、てんかんの場合にも見られるような異常波の所見が見られたが、<1>普通の成人でも一割くらいの者に脳波の異常が見られるうえ、原告のような年齢ではまだ脳が完成していないため、脳波による判断は慎重にしなければならないと考えられ(西村証言一〇丁)、脳波所見の解釈に当たつては、臨床発作など他の症状を考慮して慎重に行う必要があること(乙三三号証二一頁)、<2>原告の脳波は、事故直後の生野優生病院における検査では異常は指摘されておらず、また、本件事故から約一か月半後に共和病院で行われた検査でも異常は認められなかつたところ、一年一〇か月以上経過した昭和五六年一一月一六日の検査で異常が指摘されたこと、しかも、そのときの所見は、脳全体から異常脳波が出ていて、一か所からのものではないとされ、その後のアエバ外科病院における脳波所見と一致していないこと、<3>大阪東循環器病院における脳波検査では、第一回目の検査では異常がなく、第二回目の検査で境界領域と判定されたが、西村医師は、これは睡眠状態に入つたことによるものと推測したことなどと、前記臨床所見を併せ考えると、アエバ外科病院における脳波所見も、それだけで原告の外傷性てんかんの有力な根拠とはなりえないと考えられる。

(三) 本件事故との因果関係について

本件については、以上のとおり指摘できるところ、これに、西村医師は本件事故から約五年一〇か月後に診察し、外傷性てんかんについては確証をもつておらず、診療録にも外傷性てんかんの診断名を記載しなかつたが、アエバ外科病院での治療経過及び診断名を無視しえないと考え、前記後遺障害診断書には傷病名に外傷性てんかんをあげたこと(西村証言七丁以下)、本件事故によつて原告は脳内出血等の傷害を負つたとは認められず、また、事故による意識消失も五分程度であつたこと、その他、前記症状及び治療の経過を総合すると、前記の草野医師の所見を直ちに採用することはできず、原告がてんかんの症状を呈していたとしても、それが外傷性てんかんであり、本件事故と相当因果関係があるものと認めることはできない。また、前記のとおり、原告については、自動車保険料率算定会調査事務所により後遺障害別等級九級一〇号に該当する旨認定されているが、右に述べた事情から、それをもつて本件の相当因果関係を認めることはできない。

3  原告のその余の症状と本件事故との因果関係についての判断

(一) 前記のとおり、原告は、本件事故後、頭痛や頸部痛を訴えてその治療を継続していたが、昭和六〇年七月二日に草野医師により頭痛、頸部痛の自覚症状を残して症状が固定したと診断され、さらに、同年一二月二〇日には、西村医師からも頭痛、肩凝り、流涙等の自覚症状を残して症状が固定したと診断されている。

(二) しかしながら、原告の頭痛、頸部痛については、<1>前記のとおり、共和病院通院時において、ときどき頭痛がする(特に天気が悪いと頭痛がする)という状態が続き、昭和五五年四月中旬頃には治療の打ち切りが検討されていたものであること、<2>原告は昭和五五年六月以降は治療を中止し、昭和五六年九月になつて共和病院に通院を開始したが(前記のとおり、後遺障害について被告との交渉を始めた頃に時期が符合する。)、そのときも従前とほぼ同様の訴えをしていたこと、<3>アエバ外科病院へ通院を開始した直後の原告の症状も、頭痛、頸部痛が主体で、それほど重篤なものではなかつたこと、<4>西村医師によれば、原告の強度の頭痛等は、本件事故による外傷が原因となつているが、通常の外傷性頸部症候群であればだいたい半年以内に治ることが多いが、原告の場合は種々の因子を巻き込んで長期化しており、その中には生活環境、家庭環境も影響している可能性が大きいこと(甲九号証五、六頁、西村証言二五~二七丁)、その他、前記のとおり、原告の通院状況等に不自然な点が見られることなどを併せ考慮すると、前記大阪東循環器病院で症状固定の診断をされた当時の増強した症状と本件事故との相当因果関係を認めることは困難であるというべきである。

4  原告の後遺障害等に基づく請求についての判断(結論)

以上のとおり、原告についてはその主張する後遺障害を認めることはできないというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本件後遺障害等に基づく請求は失当である。

三  弁護士費用の請求について

本件訴訟の経過に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ弁護士費用相当の損害額は認められないというべきである。

四  結論

よつて、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

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